コミュニティ=環境をつくろうと思って、いい環境がつくれたとする。
そうしたら環境から自分は抜ける。もう必要ないから。
それが環境。個人のカリスマに寄らない場所。
(しかし俺たちが見逃しがちなのは、自身のカリスマ性である。環境をつくっているつもりが、その実は自分のファンクラブであった、と)
いい環境がつくれたあとに、そこに残って自ら楽しんでいるのは消費者。つくる人間ではない。
結局おまえは自分が楽しみたかっただけ。今の、後の世界のために、なにか良いものを残したい人間ではなかった。
環境をつくる力があるのなら、ひとつをつくって終わりにするのはもったいない。
環境を抜け出して、また新しくつくる。
それを繰り返すのが世のためだろう。
自分が環境で楽しむのではなく、ひたすらに環境をつくり続ける。
それを価値ある目標と思えるのなら、おまえは環境をつくる人間。