2024年4月
2024年4月
・最近のヒット曲
BOØWYの「CLOUDY HEART」
・桜を見ましょう。

・干し椎茸を戻す生活。このあと鶏肉とこんにゃくで筑前煮にしました。

・福岡市内に遊びに行く時はだいたいホテルに泊まる。電車で30分で家に帰れるけど。。日帰りはめんどいので。。
このホテルは広いのに安い時はとても安い。


・「タモリを見よう!」というひらめきがあり、YouTubeで「タモリ」と検索する。結果、すごくいい動画を発見。
・福岡県糸島市。美しい風景。



・森にあるコーヒー屋。


・先月にやった陶芸のやつができた。普通にいい!思ったよりいい!小皿とお茶碗です。使おう。

・サーモンとしそのなめろう。美味い。フードプロセッサーでなめろうを作るのいいね。この後にブリとみょうがでも作った。こちらも美味しかった。

ちょっとした自作の料理をアップするとき、「ちなみにお皿は自分で作ったお皿で〜」って言うと、なんか、アレだね!!
・マーダーミステリーというものをやった。非常に楽しかったのでべつのグループでもやりたいです!

・仕事。まだまだ苦しいけど、順調に来ている。
・自分が好きな人のためにする仕事って楽しいのだな。という感覚を久しぶりに味わっている。
1月のブログを書いているときに、「自分は文章を書いている人が好きで、その人のためになにかをしてあげたい」という気持ちに気づいた。これっぽいことは昔から言っていたはずだけど、「書いている人」という人物像が出てきたのは初めてだったと思う。昔は違う表現をしていた。
たまたまfacebookの過去の投稿のお知らせでこんなのが出てきた。6年前、2018年の投稿。

・当時に思っていた「想いのある人の言葉を発信したい」みたいなことと、いま思っている「書いている人のために」は、少し違っていて同じものではない。
いま「書いている人」という表現に辿り着いて、6年前の当時を思い出す。
・この頃は個人事業で編集者ではなくライターをしていた。当時、法人化をして会社を持とうと考えていた。それで社名や企業理念も考えたりして、考えていたのがこの投稿にあるような話だった。
結局、会社は作らなかった。余裕がなかったのもあるけど、「これで行くぞ!」と完全にスイッチが入った感じにならなかった。どこか踏み切れないものを感じていた。それでも自分がやりたいことであることは間違いではなかったから非常にモヤモヤとした日々を送っていた。
・いま「書いている人」という、自分のなかで最高峰に納得感のあるものに辿り着いて初めて、当時のこの投稿が自分の気持ちという的を、少し外しているのが分かる。
全然間違ってないし、ウソでもないのだけれど、でも自分の心を捉えきれていない感じがある。
いい言葉でまとめすぎた気がするよね。「想いのある人の言葉を発信する」って。なんか、みんなが「いい話だね」と思うことだ。そういう誰からも文句が出ない話を自分がすることが、俺の趣味ではないのは確か。
かといって毒を入れたいわけでもなく。なんだろうね。もっと「あまり他人が共感できないこと」でいいかな。「いい言葉でまとめすぎた」よりかは、こっちの方が正確だ。
「書いている人を応援したいんです!」と自分が言ったときに「だよね!!」と言ってくれる人はわずかと思う。たぶん現状の知り合いにはいないのでは。「ふーん」で終わる。それでいいかなと思う。
「想いのある人を応援したいですよね!」「だよね!!」という同業者からの共感を、俺はあまり求めていない気がする。
「夢を持つ若者を応援しよう!」てきなメッセージに近いよね。「応援しましょう!」とたくさんの人が湧いて出てくるイメージがある。
・なんだろう?仲間が、いらない、かな…(笑)
やーばい(笑)ここを掘ると、今まで見えてなかった自分が出てくる気がする。
「こういう人のために働きたいよね!」「ね!」
つって、仕事の仲間は集めるイメージがある。
「おれはこういうことをしたいんだ。一緒にやらないか?」とね。「いいですね!」と共感してくれた人間が仲間として集まる。
・こういう体験は過去にある。俺は自分の仲間を集めるのが好きだし、集めるのも上手だと思う。仲間を集めていく過程は、人生のやりがいを感じる瞬間の1つだ。前に勤めていた会社も、最後は非常にいいチームができた。あれを誇りに思っているし、自分が退職することによってあのチームを手放すことをもっとも惜しいと感じた。だから仲間と働くことが嫌いなわけでは全然ない。
・この仕事は1人でいい。
そう思うかな。この仕事は1人でいい。うん。
仕事のキャパシティ的に「1人で充分だから」という意味ではなくて、やりがいというか。
自分が本当にやりたい仕事だからかな。だから、自分がいてお客さんがいてくれれば、それで充分と思える。仲間と喜びを分かち合う必要は感じない。自分とお客さんで、充分に楽しい。
仕事仲間がいないからといって、1人じゃないよね。お客さんがいるから。自分のやりたいことに価値を感じてくれてお金を払ってくれる人がいるのであれば、孤独ではない。
この感覚伝わるかなあ。みんなでワイワイする必要がないこと。自分1人で「よし」と思うだけで充分に嬉しいこと。「誰かが一緒にいないと物足りない」そんなことは思わないだろうということ。
1人でいいよなー。
うーんとねぇ、誰かに理解や共感されなくていいと思うんだよね。なぜなら自分が本当にやりたいことだから。「なので、自分はやりますね」というだけ。「書いている人を応援したいよね!」と言って、誰にも共感されなくて仲間が集まらないとしても、べつに平気と思う。
関係ないからね(笑)
おれがやりたいことなのであって、それを他の人に理解してもらう必要はない。「理解してもらう必要はない」と思ってしまいますが(笑)他の人が共感しようがしまいが、俺が書いている人を応援したいことは変わらないので。
だから関係ないかな、他人が。おれはやるので。やりたいので。
・なんか「みんなは興味ないかもしれないけど、おれはやりたいから、やるね」
これで本当にやれること、やることが許されることって少ないよね?おれは人生のだいたいをこのテンションで生きてきてしまったので疎いが。
齢32歳、いま気づいたけど、
「みんなは興味ないかもしれないけど、おれはやりたいから、やるね」
これって普通は通用しないのかもしれない(笑)
だからこそ「おれはやりたいから、やるね」で進められる仕事なら、大事にしたほうがいい気がするな。仲間に気を使うことが増えるよりも、1人で伸び伸びとできるほうがいい気がする。自分がやりたいことを形にしていく段階なので。それは他人を巻き込んでやるべきことではないと思う。1人で好きにやればいいこと。
・「やりたい仕事」というのが自分から出てくると元気になりますね。去年の年末は「1人で仕事しててもつまらないから会社に入りたいなー」と自営業をやる元気がなくなっていたけれど、いまは1人でやる元気が出てきました。