これはフィクションです

32歳。男性。自営業。独身。

2024年8月

8月。

 

・暑い。ぽっかり休みができたので三國無双3をやって遊ぶ。

 

・夏は早朝が気持ちよい。

 

・映画『フォードVSフェラーリ

とても良かった。泣いた。

eiga.com

 

 

・中本で冷やし五目蒙古タンメン

 

 

・プレッシャーのかかるタスクがある。いまはやる勇気が出ないので、出るまで逃避することにする。これを始めてしまうと忙しくなるので、その前の貴重な休みと思えばいいさ。

結果、8月10日に着手。ちゃんとやったのでえらい。

 

ゴーヤチャンプルー。ゴーヤの火の入りが甘いとくそ苦いが、ガッツリ火入れすると食べやすくなる。



 

・最近のヒット曲。ブライアン・アダムス「Before The Night Over」

youtu.be

 

 

 

・自分の仕事の栄枯盛衰が激しすぎるよね。同じ仕事をしているのに去年と今年で売り上げが全然違う。去年に売れたものが今年はほぼ売れない。こういうことって普通は10年くらいかけてだんだん下がっていくものなんじゃないの?一過性が過ぎるでしょ。

 

ブームを追ったつもりはなく、いつの時代にも必要だろうと思う本質的な商品を作ったつもりがこれだから、他人に偉そうなことは言えないね。

 

自分には叩き直さないといけない部分がまだまだあるということだ。

あーあ。去年でついに峠を越えたと思ったのにな〜。今後の人生はのんびりやっていけると思ったのに。

 

 

・「自分が好きなことをやらないと自営業で仕事してる意味がないよね!」みたいなことを最近インターネットに書いていたが、急に自分が子供っぽいことを言っている気になってきたな。仕事ってそういうことじゃないよね。自分が売りたいものじゃなくて、客がほしいものを考えないとね。

 

さらに言えば、客に必要なものじゃなくて、客が必要と思っているものじゃないとね。これ前者と後者は全然違いますね。

 

俺は「客のことを考えると、彼らに1番必要なのはこれだろう」という思考で商品を作っていて、それが彼らに必要なことは合っていると思うけど、客がそれを理解してくれなかったら、本当は必要でも、必要としていなかったら売れないのだよな。

 

普通のことだけど、最近はこれを忘れていた。いいものを作っている自信はあったので。でもそれが売れないということは、今は必要とされていないということだろう。

 

・客が必要としていること、「こういうのがほしい!」と思っていること。でも彼らより専門性が高い自分から見ると「いや実はそれは必要ないんだよ。むしろ買うと不幸になるよ」と思う。思うが、彼らはほしいと思っているので出せば売れる。彼らはそれを買った結果、やはり不幸になるのだけど。

 

こういうときに「客がほしいって言ってるんだから売ればいいじゃん」と言う人間を俺は激しく見下している。しかしそういう思考の人の方が営業成績はよい。

 

買っても客の問題はたいして解決されないと知りながら、客が求めているものを売る。

 

そういうことを自分も多少はしないといけないのだろう。ここを妥協すると俺の魂は死ぬ気がするのだが、「魂が死ぬ」とか意味わからないことを言っているからダメなのである。売れたか、売れないか。カネがあるか、ないか。商売はそれだけ。絶対にそれだけではないですが、それだけと思ってやってみましょう。俺は仕事や商売にいろんな意味を込めすぎだ。

 

 

・今月は仕事で非常に嫌な出来事があったけども、まあこれくらいのことは働いている人はみんなもっとあって、それでも「仕事だから」と耐えているんだろうなと思って、私も忘れることにします。

 

 

・嫌なことのせいでダメージを受けた状態で思考していたら、「おれは1人で自営業をすることに向いていないかもしれない」という気づきを得た。昔からうすうす向いていないかもと思っていたが、ここにきて言語化が進む。

 

「仕事を取りに行く」これがおれにとってあまり楽しくない、自然と努力できない。放っておくと営業しない。

仕事があればちゃんとやるし、やれるスキルはあるのに、仕事がないとただ遊んでいるだけになっている。仕事がない時に自然と仕事を取る活動はしない。いま「よし!」と元気が出た時だけしかやれてないので。自然にできない。やるには気合いが必要。それはつまり苦手だからやめたほうがいい。

 

今やっている仕事がさ、依頼がバンバン来る状態なら自営業で続ければいいと思うんだよ。でもそうじゃない。そうじゃないところから宣伝や営業をして仕事をいっぱいにしていくのは、お前は不得意だろう。不得意なことをするのはやめろ。

 

・「人に使ってもらう」という意識を持とう。自分の活かし方について自分でグダグダ言うのではなく。いるべき環境、必要とされる場所に自分を当てはめる。需要のみを考えて居場所を決めるということだな。「需要から考える」というか。

需要のある案件のなかから良さそうなものを精査していく。自分のやりたい気持ちを第1に置くのではなく。必要とされるところに身を置く。ライバルが弱いところに身を置く。需要がある案件のなかで自分がいちばん気に入ったものを選ぶ。そういう考え方。

 

 

・おれという人間は我がまま放題しているように見えつつ、そこそこ周りに流されたり、空気を読んだりして人格を調整しているということだ。

 

・人格を調整。言い得てるね。誰でも空気を読んでキャラを調整しているのだろう。それは自分を偽っているわけではない。どれも本当の自分だ。どの自分が強く出るかが違うだけで。場や役割に合わせたキャラの調整をする。

これが1人だと調整が起きない。場も空気もないので。だから素が出る。いちばんラクな自分、かな。調整をかけない時の自分。

 

・おれの調整をしない時の素のキャラクターがビジネスに向いてなさそう。素だと気難しい職人の性格が全面に出る気がする。「バンバン仕事取ってくるぞ!」という営業マンみたいなキャラクターが出るならいいのだけどね。

 

おれの得意な冷静な状況判断や軽いフットワークが出るのでもよい。でもそうではなくてクオリティにこだわるモノづくり職人が出てしまう。特に最近はそう。こだわりと売り上げを天秤にかけた時にこだわりを取ってしまう。ここで売り上げを取れないと1人自営業は難しいのだろう。

 

・で、1人でいる限りは売り上げを取れるような人間にはなれるような気がしないので1人で自営業をやるのをやめよう。1人で素でいると商売にとってマイナスな性格が多く出る気がする。

 

・人は自分がいる場所や周りの人や役職などの空気を読んで調整して、タイミングごとにいちばんふさわしい自分を出すのだろうな。いい観点だ。

 

仕事をするというシーンでも、株式会社で社長をやって社員を雇っている時のおれと、1人で気ままに自営業をする時のおれは全然違うことを言うと思う。

 

で、自分で評価するに、前者のおれはいい感じだが、後者のおれはダメだ。おれのダメなところが出る。ダメなところが出る環境で働くのは得策ではない。

 

・結論。おまえは1人自営業が向いてないのでやめたほうがいいと思います!

1人自営業に向いてるのはガンガン営業してとにかく仕事を取って来れるやつ。おまえは全く違います。

 

 


・25日長野県にて友達と上高地

 

川のそばのベンチに座り、上高地の自然と一体化する気持ちでしばらく過ごす。心にある感情、仕事で嫌なクレームが来たことを吐き出す。「あのクレームはマジでうざかった」

吐き出して、また自然と一体化。

そんなことをやっていると自分の感情が遠いものになる感覚がしてきた。嫌な気分になっている感情がやる前よりも弱くなった気がする。友達も同じことをやり、同じ感想を言っていた。

 

このような浄化は定期的に必要だなと思った。1ヶ月に1回やった方がいい。

 

非常にリラックスできたのか、帰りにめちゃめちゃ眠くなった。

 

上高地は観光客でいっぱいだが、人が来ない新エリアを発見して満足。



 

・26日軽井沢で会合。

 

・万平ホテルのカフェ。とてもよかった!おすすめ。

 

 


・こちらの会合で仕事の相談をした結果、とてもいいアイデアをいただけた。自分が全然できていなかったことにも気づいた。おかげで「これをがんばれば上手くいくかも」と、また自分の仕事をがんばる気になってきた。ちぇ。せっかく「1人で自営業が向いてないからやめよう!」と思ったのに。

 

 

・最近はこのようにどっちつかずだ。「会社員になりたいなー」と思って応募しても採用されず、「もう自営業やめるかー」と思っても、なんか希望が出てきたりする。次の道がバシッと決まらない。人生の流れがね、はっきりしないよね。自営業をやっていくのも「これでいいのだろうか」とは思っている。早く決めたいのだが決まらない。こういうふわふわした状態は落ち着かないが、まだまだ耐えなければいけないのかもしれない。

 

33歳になり、若者の時代が終わって中年の完全体となっていくなかで「早くなんとかしないと」という焦りもあるが、人生全体で考えたら次の道が33歳で決まろうが35歳で決まろうが大した違いではない。

と思うので焦って変な決定をすることなく、本当に「次の道はこれだ!」と思えるものが見つかるまで「保留」の状態で耐えたい。

 

 

・二郎系、うまし。

 



・4月からやっていた案件が8月末で終了。お疲れした!いい仕事だった。

YouTubeの動画を撮りたいお客のために、お客が過去に書いたブログ346記事をおれが読んで、動画のネタに使えそうなものを2人で相談していくという仕事だった。全部で15回打ち合わせをして、346記事すべてを検討した。

 



・野球解説のYouTubeを見ていて、調子が良かったり悪かったりと安定していない新人選手に対して解説者が「技術が確立できていないから安定しないのだ」とコメントしていておれに刺さった。

 

去年は売れていたが今年は売れない。それは技術が確立できていないからだな。確立できたつもりでいたが、まだまだ。軽井沢で「それ全然考えてませんでした」ということも発見できたし。仕事の道の先は長い。




・長野から神奈川へ。ちょうど前日に神奈川での大雨がおさまったので問題なく移動。ラッキー。


藤沢でいつもの集まり。この集まりではトレーナーの先生の教えを受けて、身体の構造について理解を深めたり、ストレッチをしたりする。この先生の話はとても分かりやすくて独自の理論があるので納得感がある。学校の体育もこのようだったらよかったのにといつも思う。

 

教えてもらったストレッチをしたらとてもリラックスできた気がする。おかげでそのあとの食事の店でちょーねむい。

 

この店は元々うまいが、なんかいつもより敏感に味を感じられる気がしてメシがうまい。

 

 

身体がリラックスしていないと、疲れていても疲れを感じないらしい。身体の感覚が鈍くなっていくそうだ。身体がだるいことが続きすぎて、だるいのが当たり前になったりね。

なのでトレーニングで鍛えたりする前に、まずは身体をリラックスさせてちゃんと休める状態にすることが大事だと先生から教えてもらった。

 

この日の夜は完全にぐっすり眠れた!いつも眠りが浅いのですごいことだ。ストレッチでリラックスできたおかげかもしれない。

 

思い出してみると、この運動の会が終わったあとはいつも眠かったので、いつもリラックスできていたのかもしれない。

 

 

というわけで感動したが、なんだかんだこの藤沢での運動の会も1年半ぐらい参加している。1年半続けて、自分の身体の変化に大きく気づくことができた。

そういうものだなと思った。素晴らしいものでも、自分が理解したり、変化が実感できるようになるには時間がかかる。勉強とか身体にいいものとか。1回やって、特に変化が感じられず「ダメじゃん」と思って投げ出すものではないな。

 

この運動の先生は素晴らしい先生なので、いずれみなさんにも紹介したいと思います。

 

 

 

 

・8月が終わる。夏が終わるぞ!よしよし。暑いのはうんざりだ。

 

・9月2日に新幹線で新横浜→博多で帰る予定だったが、2日も新幹線が運休しそうなので3日に変更。追加で新横浜に1泊する。

 

・9月にはまた新しい講座をリリースします。さてこちらはどうなるでしょうか。

軽井沢でのアドバイスをもとに考えていたら深い意味を込められたものになった気がする。いや、あんま深いと人に伝わらないから深くないほうがいいんだけど。

 

こうやって1つずつ、足りないことに気づいて直して、またやってみてを繰り返していくしかないんだなーと思う。大変だぜ、自営業は。

2024年7月

7月。

暑い。

 

ある日のこと。
朝の8時ぐらいに寝て、13時に起床。外はギンギンの日差し。出かけてはならない。予定がない日だったので、とりあえずごはんを食べることにする。からあげと白米。食べたら眠くなったので、ダラダラしつつ二度寝。19時ごろ起きる。やることがないのでダラダラして、ごはんを食べよう。お昼のからあげが美味しかったな。材料はまだあったので、またからあげをつくる。からあげと白米。食べたら眠くなったので寝る。起きたら夜中の1時。

このように、からあげとごはんを食べていたら1日が終わった日があり、「これはマズい」と。

7月の全部をこんな感じで過ごしてしまいそうな危機感を覚える。

 

対策として長野に行くことを思いつく。8月に行く予定だったがもう行ってしまうか。

思いついたら我慢できない性格なので、数日後に出発の飛行機チケットを取る。片道4万しちゃった。



 

 

・7月16日から長野入り。涼しい!

 

 

 

・美味しいラーメン屋で味噌ラーメン。

 

秘技2個食い。醤油ラーメン。うまい!

 

完食。

 

 

・1人でうろうろしているの好きなんだよな、と3年前の夏ぐらいに思った。

1人で駅前のスタバ行って仕事して、1人でメシ食って帰る。この感じが好きだなと。

当時はコミュニティ運営していたり同僚がいたりで1人で仕事をしていたわけではなかったが、コミュニケーションはオンラインのみだったので、パッと見た限りは1人だ。

 

ここ5年を1人でうろうろして過ごしている。5年やってなんのストレスもないので、自分はこれでいいのだろう。

 

60歳以降も1人で仕事をしているイメージがある。大きな会社にいるイメージもないし、小さな事務所に4、5人でのんびりとやっているイメージもない。1人で机に向かっているイメージがある。60歳以降もそういう感じで仕事ができていたら幸せだと思う。

 

 

・学生時代を、中学や高校時代をどのようなポジションで過ごしたか?というのは人間の自意識、人格に大きな影響を与えると思う。自意識とはそこで完成するのではないかな。そこから違う意識に変わるのは難しいと思う。

おれの学生時代は、明確に「自分は傍流だ」という自意識があった。メインストリームではない、クラスの中心ではないという。実際にそうだったとも思う。

学生時代に中心に参加するには、顔がいいことと運動ができることが参加資格と思うが、おれはそのどちらも持っていなかったのでイケメンスポーツチームには入れなかった。おれは自分がおもしろいと思った、おれを笑わせてくれる友達を集めた小グループを形成して学生時代を過ごしていた。

 

そういうわけでおれの学生時代の楽しい記憶は、教室の中心にはない。文化祭や修学旅行にはない。教室のすみっこにある。みんなが気づいていないところでおもしろいことをやっていた。

 

 

大人になったいま「一番おもしろいことは中心じゃねえな」と思っているが、確実に学生時代の過ごし方のせいだと思う。

 

「物事の隅がおもしろいだろうな」と感覚で信じている。みんなから見える教室の真ん中ではなく、教室の後ろにある掃除用具入れの横がおもしろい。

感覚的に流行りモノに興味がないのはこのせいだろう。「みんなが好きなものに本当におもしろいものはない」と思っている。

 

・タレントのタモリが「やる気があるやつはダメ」という話をしている。あの話、誤解されてそうだよな。あの話は「やる気があるやつはダメ」という話じゃないぞ。

ちゃんと聞くと「やる気があるやつは物事の中心しか見ないからダメ」と言っていた。

 

タモリ「やる気のあるやつってのは物事の中心しか見ないんですよ。おもしろいことってのはその周辺にあるでしょ。ちょっと外れたりちょっとズレたり。それに気が付かない。やる気のあるやつは」

 

タモリのこの話のタイトルは「やる気のあるやつはダメ」ではなくて「おもしろいことはどこにあるか?」だよな。努力しなくていいという話ではない。やはり人は人の話を聞いていなくて、伝言ゲームは無理だということがわかる。

 

さて本題に戻って。いい話だよな。学生時代に傍流の人間はこれを知っているのだ。メインストリームじゃなくても、おもしろいことはたくさんあると知っている。そして自分たちが体験したおもしろいことをメインの連中は体験していない、気づいていないことも知っているな。こちらも教える気はない。

 

という話をタモリが「やる気のあるやつはダメ」とまとめるのはなんとなくわかる気がする。

やはりやる気があると物事の中心を見る気がする。中心を見ようとしないのは、やる気のない人間だろうな。もっと言えば「興味がない人間」だと思う。そもそも、あることについての興味がないので中心を見ようとしない。暇つぶしとして代わりに周辺を眺めたりして、それでおもしろいことを見つけるのかもしれない。

 

学生時代にやらされることのほぼすべてに興味が持てず、「やる気のないやつ」として過ごしてきたおれとしては感覚的に非常にわかる話だ。退屈なので、自分なりに「なにかおもしろいことはないかな」と探すんだよな。そういうときに物事の中心は見ない。だってその物事にそもそも興味がないのだから。その中心がおもしろいわけがない。



 

・ここ2年ほど「次にやりたい仕事探し」の時期になっている。だいたい自分が興味のある分野は絞れてきた。そのうちのどれかで機会があればいいなと思う。

今年は余計なことは控えるとして、来年からは現状で思いついているもののどれかを実行していこうかな。あまり待っていても仕方ないしね。おもしろさや可能性というのはやってみて分かることが多い。

 

・なんとなく「30代であと2つの会社、仕事を経験したい」と思った。1つの会社に使う時間を3年とすると、いま33歳なので来年から動き出すとちょうどいい。

やりたいことを無理して同時進行していかないとなと思った。2年をゆるゆると過ごしたおかげで傷は癒え、気力は回復し、またガリガリと働く気になってきた。

 

・今月も生存。7月の収入は22万円。生活はあい変わらず、「来月は暮らしていけるが再来月は分からん!」という状態です。今年はずっとそんな感じ。この調子で年末まで行くのだと思う。好きなことだけやっているからしょーがない。冬に激しく旅行をする気でいるので貯金をする必要があるのだが!

 

 

・お客さんが自分の音声コンテンツにゲストとして呼んでくれて音声コンテンツ収録。事前にテーマを送ってきてくれたり、こちらのことを調べておいてくれたりして収録はスムーズに進行。よかった。おれもいい話ができたと思う。

音声コンテンツやりてーのだが、1人でしゃべるのがきつくてできない。なんとか突破口を見つけたい。

 

 

・「常識やマーケティングによって買わされたりやらされてしまっているものが多い」という話を友達がしていた。

純粋な自分になるためにまずは持ち物を減らすことが必要と思う。のだが、減らす、捨てるはみんな本当にできない。

 

そういえば昔から、この友達と俺で「LINEやめた」とか「パソコン持つのやめた」という話をしていた。我々は自分が持たされてしまったものをがんばって減らそうとしていた。

 

 

・丸亀の冷かけうどん。夏だ。うまい!!

 

・複数社を経営しているやり手ベテラン社長の経営コンサルティング実例を聞く機会があり、(そのアドバイスは間違っていると思うけどね)と心の中で反論を考えるなどした。

 

経営とは状況対応であると思うのだな。「こうするべきだ!」といろんな経営論があるが、「いつでもこれをすることが正しい」というノウハウはない。残りの資金、社員の人数、売り上げの伸び具合など、状況によって何が正解かは変わるからである。あえて言ってみるとすれば、経営能力とは、状況に対応する能力である。

 

「こういう時はこうする」「ああいう時はああする」と、状況ごとの正解を覚えるような、経営はそういう暗記ゲーではない。(基本の知識として必要だが)

 

「いまこういう状況があり、あなたはどうしますか?」

というクイズにいちいち答えていくのが経営と思う。

 

だから「ある場合には正解だったが、この場合には不正解」という行動がたくさんある。

 

「経営は状況対応」ということがそもそも分かっていない人間が、自分の成功体験だけで経営を語るのだろう。

 

 

・経営が状況対応となると、「状況を正しく把握する能力」が重要になってくる。黒を「黒」、青を「青」と正しく認識できる能力が。ここで黒を「白」と思ってしまうようだと状況把握は難しくなる。正しい状況把握ができていないので対応も間違ったものになる。

 

・状況把握能力には例えば「感情と事実を分ける」などがある。これができる人間は実は少ないと感じていて、まあこの時点で大半の人間は状況把握ができていないことになる。

あとは「認知バイアス」とかいうもの。偏見とかの方が分かりやすいかもな。自分が黒を見たときに「黒」と思えず「グレーじゃない?」と思ってしまうようなことを認知バイアスと呼ぶのだと理解している。

 

・そもそも状況を把握することから逃げることもある。「現実から目を背ける」というやつだ。つらい現実があると、人間はそこから目を背けてなかったことにしようとしてしまう。

 

会社にお金がないのに「なんとかなるよー」と楽観的になったり。根っからのポジティブなのではなく、お金がない現実と向き合うのが怖いだけ。

これに関しての回答は「勇気」になる。つらい現実に向き合う勇気。それがないと状況把握は難しい。

 

 

・銭湯の休憩所でインターネットをする。

 

 

・向き合うのがつらい現実をきちんと見ること。最近はこれがテーマになっている。

例えば今月は、客のクレームに向き合った。クレームというかこちらの仕事に不満を持っていそうな感じがしたので、べつに無視してもよかったのだが、きちんと聞いてみることにした。結果としてクレームというほどのことはなくてよかったのだが、自分からそれを聞いていくのは非常に不愉快な時間だった。あんなに嫌な気持ちになったのは久しぶりだった。やはり嫌なことに向き合うのはつらい。

しかし「きっちりやった」という満足感はあった。こうやって少しずつ現実に向き合える勇気を育てていくのだと思う。

 

・現実に向き合うことを考えてみると、大人でもできている人は少ない。都合の悪いことがあると無視したりする。ダメになった案件について自分から相手に「すみません、あの案件ダメになりました」とは連絡しない。痺れを切らした相手から「あの案件どうなりましたか?」と聞かれて「すみません、ダメになりました」と言う。ダメになったことはずっと前に分かっていたはずなのに。

 

・おれ自身もめちゃくちゃそういうところ、現実から逃げる弱さがあった。でもそれではダメだと思って直そうとしてきた。特に会社をやっていたころは他人を巻き込んで仕事をしていたので、都合の悪いことをごまかすことを絶対にしてはダメだと思っていた。

 

おかげでちょっとしっかりできた。自分が多少はできるようになると、できない人間がよく分かるものだ。自分より年上で、しかも会社の社長をやっているような人間が現実から逃げているエピソードを聞くと腹が立ってしょうがない。

 

まあ多くの人ができないことであれば、自分ができるようになればしっかりした人間になれるということだ。

 



 

・なんかこのあたりのこと、おれはこの5年ぐらいでものすごくうるさくこだわるようになった。「しっかりやる」「きちんとやる」といった部分。自分が20代前半のころは全くちゃんとしていなかったが、いまはちゃんとしてない人間は大嫌いだ(笑)遅刻するとか、約束を忘れるとか、必要な連絡をしてこないとか、準備をせずに当日に臨むとか。

「14時くらいに行きます」と言って、15時に来るやつも嫌いだし、「24日空けておいてください」と言われたから空けておいたのに、その後に音沙汰がなく、こっちが「24日どうなってんの?」と聞くと「あ、あれなくなりました!」とか言うやつも嫌い。こういうやつらと一緒に仕事をするのは無理。

 

 

・「やる」と言ったことをできない人間がすごい多い。

「明日やります」と言って、やらないとか。おまえ明日やるって言ったじゃん。できないなら言うなよ。べつにこちらは急いでないから1週間後でもいいんだ。確実にやってくれる日程が知りたい。確実なことが知りたい。希望とかチャレンジではなく。最大限ではなく最低限が知りたい。

 

近年のおれは、自分の発言に責任を持ちたいと思うようになった。「ここまでできる」と言ったことは絶対に守りたい気持ちが出てきた。

「どれくらいできる?」と聞かれて時に「これぐらいがんばりたい」という希望や目標は語らずに「最低限これだけはできます」みたいな。

 

起業して社長なんかをやりたがる人間は、ほぼ全員が調子乗りだから、200%を語る。でも実際できたのは50%。

おれそれすげえ嫌い。ほんとに嫌い。こういうやつ本当に嫌い。マジで。30歳越えてああいうのやるやつ無理。そういうキャラだとしても。

 

他の人間がその発言を受けて考えるじゃん。「200%やってくれるなら、じゃあこういうふうにしよう」と考える。でもそれが全部狂う。

 

いまだったらちゃんと聞く。「本当に?それ」と。「200%は嘘でしょ?嘘だよね?本当はどこまでできるの?」

おれは出せる結果の大小は気にしてなくて、15%でもいいから確実がほしいんだよ。「15%しかできないって言うのは恥ずかしい」とかじゃなくて。

 

「1週間に記事を何本書ける?」と聞いて「週に5本いけますよ!」って言われても「絶対嘘でしょ。絶対嘘だねそれ」と言う。

お前の『がんばります!!』って意気込みはいらねえんだよ。本当に最低でいいから、確実に、安定的にできる量が知りたいんだよ。「じゃあ1本くらいならできます」それで全然OK。1本でいいから確実が知りたい。そういうマネジメントをおれはします。目標に対して、みんなの最低限を足していって、足りない分はおれが埋める。みたいな感じ。

 

 

いやー、ここはほんとにうるさくなった。なんでしょうね。でもなにかを本気でやるならこのテンションが必要だと思う。

2024年6月

6月。

・旅行だぞ!!神奈川の藤沢と長野に行きます。

 

・藤沢。知り合いが始めた畑に行く。(写真撮り忘れ)

非常に気持ちのいい場所だった。みんなで作物の収穫。おれは手が汚れるのが嫌いなので見ているだけ。「手が汚れるの嫌いなので収穫はいいです」と言って笑って許される集まり、マジ助かる。

 

 

・打ち上げでへぎそば食べる。うまい。

 

 

 

・集まった知り合いから今後の指標となりそうなコンセプトをいただく。

やはり、共感することの多い自分と似た人間&センスのいい人間からもらうアドバイスは良い。芯を食っている。

 

 

 

・その後は1人で横浜をうろうろ。

 

お寿司

 

 

・誕生日を迎えて33歳になりました。フム。

from横浜そごう資生堂パーラー

贅沢な場所で書いていますね。

 

まず、生きているのでヨシ!だな。死んでいる可能性もあるので。感謝。

今年は売り上げが悪く、2月には「バイトも視野に入れておかなければ」と思ったが、結局してなくてうれしい。

 

いま旅行中だし。ケーキセット1380円だし。

 

家族も親戚も元気だしな。不幸なやつはおらん。ありがたいことだ。

今日会う友達もいるしな。仕事を依頼してくれる友達もいるし。モンハンする友達もいるし。ボードゲームする友達もいるし。久しぶりに話したいと思ってくれる友達もいるし。突発的な旅行に行く友達もいるし。おれが会いに行きたいと思う友達もいるし。友達がいっぱいだ。

 

33歳で自営で、かつ自分の商品で自分で集客していて、自分が納得できる仕事で、うざい案件はひとつもない。それで月25万円くらいは稼いでいる。

33歳でそうなら40歳のときに年1000万円くらい行くでしょう。安心だ。

 

健康だしな。心身ともに。身はそろそろやばそうなので節制しましょう。

 

心は元気だ。まだまだ気力は充分。自分を貫く元気がある。本質思考というハンデとともに生きていく元気がある。時には損をするような自分の美学とも心中する気マンマンだ。それは元気があるということだ。

いまおれの生活にうざいやつは1人もいない。これはすごいことだ。普通の人の人生と比べても、これまでのおれの人生と比べても。喜ばしい。

 

ということで、いい人生です。

 

 

・横浜から移動して長野へ。

 

・二郎系うまい。

 

 

・考えてみると、いまの楽しい生活の要因は「2LDKのアパートに1人で住んでいる」が大きい。快適だ。家賃5万円だし。もう家賃の高い都会では暮らせないね。。

 

霧ヶ峰高原を訪れる。

 

・夏休みの感じを味わう。



・釣り

 

 

 

獲って、食う。って大事だね!マジで「生きるチカラ」みたいなのが湧いてくる。

 

 

・美しい風景。

 

 

 

・1週間ほど滞在して長野から帰宅。

 

・暑い!!6月11日の時点で最高気温が30度を越えてるんだが!

夏が来てしまった。どうしましょう。

 

 

・友だちに占いを披露したことがきっかけで占いブーム再到来。人間っておもしろいねー。

知り合いを片っ端から占って「当たってるww」と1人ニヤニヤする。

 

おれと星座と動物占いが同じ知り合いがいるのだが、あんまり似てないので疑問に思っていたが数秘術で占ったら解決。LPとDがどちらも3。そりゃおれと気が合わないはずだよ。。

 

ということが分かるのよ、占いは。

・自分が好きな人に動物占い「オオカミ」が多いことに気づいた。

 

 

・福岡で大宴会。6月が誕生日のメンバーで集まってお誕生日会である。

tabelog.com

 

 

 

 

 

 

最高!すべてが美味しくご機嫌だった。2人で行って写真以外にも食いまくり24000円なり。

 

6月が誕生日のメンツでパーティーするっていいですね。全員が祝われる側なので「お祝いしないと!」「お礼言わないと!」というプレッシャーがなくていい。立場がフラットだ。

6月誕生日のみなさん、パーティーをしましょう。

 

 

・お出かけ。大阪へ。


・大阪で知り合いのセミナー受講。久しぶりに他人のセミナー受けるな。最近はいつも講師側だから。参加者側は気がラクでいい。

 

セミナー、ちょーおもしろかった!!

レベル的に自分の3段階以上も上の存在の話は刺激的で楽しい。いちいち「うわー、確かにそうだなぁ」と刺さる。

 

 

・俺のことを「○○ちゃん」と名字にちゃん付けで呼ぶ人も少なくなったな。最近はだいたいさん付けで呼ばれる。セミナーの講師は昔からの知り合いなのでちゃん付けで呼ばれた。呼ばれて安心感というか楽しさがあったね。

最近は自分が責任を負う立場ばかりなので、年上の人ばかりの集まりに参加するのが楽しくなってきた。昔は気を使わないといけないから嫌だったけど、今は甘えて無邪気に過ごせるから楽しい。

 

そんな感じでセミナーと、そのあとの交流会まで参加して楽しく過ごした。定期的に開催されているそうなのでまた大阪に来ることにした。9月か10月ごろかな。

 

・すごい人が「自分の経験をシェアしたい」「こういう人を助けたい」とか思ってくれるのは我々のような下々の者からすれば幸運だ。ありがたく享受しよう。

 

 

・大阪から神戸に移動。

 

メールマガジンというものを書きたくなったのでやります。と言ってもメルマガという手法は読む側からすると読みづらい気がするので、メルマガではないですが。

 

より尖った文章を書きたくて、そのためには「誰が読んでくれているのか?」を僕が知る必要があるのです。このブログは誰が読んでいるか分からないので、これでも当たり障りのない内容になっているところがあります。僕はもっと尖れるし、もっと尖ったものを書きたいのです。

 

ということでメルマガの読者を募集。応募方法は、普通に連絡ください(笑)「メルマガ読みたいです!」と。

たぶん全員で5人くらいだと思うので、新しい記事が書けるたびに僕が「新しいやつです」と1人ずつfacebookとかLINEとか、あなたと連絡が取れる媒体でメッセージを送っていこうと思います。

 

そのほうがね、楽しいかなと思いました。ブログやメルマガよりもっと距離を近いものにしたかったので。会って1対1で話しているぐらいの距離感の「いや、近いな!」と感じるくらいの文章を書きたいと思います。読んでいて「書かれている『知り合い』って自分のことだな」と明らかに分かるぐらいの文章を書いていきます。

 

手紙みたいなもんですね。インターネット手紙です。手紙を書いて自分で配達するぐらいの気持ちで、文章を書き、あなたのmessengerやLINEに「最新号ですけどもおお!」と投函したいと思います。読みたい方は何かしらの手段でご連絡ください。

 

 

・と思ったんですが、やめました(笑)この話は忘れてください。

これを書いた直後に神戸で人と会って、そこでのお話をうけた結果、僕が今がんばるべきことはこれじゃないなとなりました。

 

尖るのはね、いつでもできるんだよ。現状、尖りすぎだからもうよくて。
重要なのは!世間に分かりやすく説明していくことだ!

 

もぉちょーめんどくさいけどね、説明とか。「わかんねーやつはわかんねーでいいよ」という精神で10代からこれまで20年近く過ごしている。自分がやっていることを分かりやすく説明する。これは全然楽しくないのでやりたくない。

 

やりたくないので放っておくとやらないのだな。だから意識できた時にがんばっておかねばならない。尖るのはおれにとって自然だから放っておいても勝手にやる。なのでいつでもいいのです。いつでもできる。はぁーーだりぃ。尖ったメルマガ書きてー。

 

・神戸での集会はいつものメンツでしたが、他2人が激変の近況報告をぶち込んできて楽しかった。人の激動を聞くのは楽しい。特におじさんの人生の激動はワクワクする。

 

2人のうち1人は私の人生の師だが、師匠がきついところを乗り換えて1つ上のステージに行かれた状態だったので、いつも以上に先生のお言葉にチカラがあった。おれに直接的なアドバイスも多かったし。師匠と書いているがそれはおれが一方的に思っていることで向こうはおれのことを「弟子」とかは思ってないので、いつもはそんなにアドバイスは飛んでこない。

しかし今回は「こうするといいよ」というアドバイスが来て、しかも本質的すぎて、受け取るのが疲れた。

「自分のやりたいことを封印して、お役に立てること、卓越性を考えるとよい」とかね。

おれは自分の仕事について「こういうのをやりたい」「あれはやりたくない」とグチグチうるさいので、的確なアドバイスだ。

 

あと「もっと下世話にやったほうがいいよ」とも言われた。その通りだと思います。自分でうっすら気づいていることでも、人から真っ直ぐに言われると衝撃がある。

 

・おれに対して「もっと下世話にやったほうがいいよ」と言ってくれる人間、ありがたすぎるな。おれがそれを言われて素直に「はい。そうします」となる人間もいないしね。

 

なぜならおれ以上に物事の本質を追っている人間にしか、それは言われたくないので。そうじゃない人間に言われても「まあお前は下世話な人間だからな」としか思わない。

 

「お前は意図して下世話なのじゃなくて、根本の人間性が下世話なんだよ。本質がないんだよ」と思ってしまう。

 

おれがアドバイスを聞こうと思う相手は「本質を追いながら、それを工夫して世間にも伝えようとしている人間」です。そういう人間は本当に少ない。この意味で本当にいい師匠だ。自分の知り合いでは他にいないかもね。本質と売り上げを両立している人間は。

 

まあその師匠が「物事の本質を追ってお金持ちになった人っていないんじゃない?」と言っていましたが笑。ぐぐぐ。重たい言葉だった。

まあ、おれは追うけどね。なぜなら本質を追いたいから。本質を追うのは楽しいから。

しかし!お金をもらうには下世話なこともやっていかなければならない!
そして自分のやりたいことを封印!お役に立てること、卓越できることを考える。

 

いやー、仕事をする人間に向けたアドバイスとしてはベストだろうね。


大阪のセミナーも素晴らしく、過去最高の関西遠征だった。

 

やはりね、人がSNSなどで公に発信する情報だけじゃダメだね。直で会いに行って情報をつかまないと。

 

 

・おれ今33歳なのだが「33歳はいっぱい悩みましょう」と言われたのもよかった。まあ、そやね。33歳というのはまだそういう年齢だよな。社会人の中では若いほうだし。

 

 

・ということで楽しい6月だった。来月は7月!7月も元気にがんばりましょう!

 

2024年5月

5月

 

山口県の唐戸市場に行く。「GWに行く」という大暴挙をかます。案の定、激混み。


市場で売っていた寿司を購入。美味しかったのでとてもよかった。フグは普通だった。



・スシロー。スシローの茶碗蒸しうまい。

 

結果、2つ食った。

 

 

・1週間後。スシローリターンズ。うまい。スシローが近所にあったことに気づいてしまった。

 

 

 

 

・暑い。19日の時点で28度ある。終わりです。今年の夏はどうやって暑さから逃げようかなー。

とりあえず8月の下旬から1週間くらい長野に行く予定にした。

 

 

・からあげ。うまい。

 

 

・今年からずっと仕事の成果が悪くて苦しかったが、ようやく今月は上向きました。ふぅ!
やっとひと息つけた感じだ。

 

最もきつかった2月ごろは「なぜ俺の人生はこんなに大変なのだ」と天を恨んだり、「今年ずっとこんな調子だったらどうしよう」と不安になったりしていましたが、たぶん大丈夫そうでよかったよかった。確かに自分の仕事に対する暗い予感もありますが、明るい出来事も出てきました。

 

・先月と変わらず、1人自営業を続ける意欲はある。やっぱ今の生活は自由で最高だよなあ!?

1人で誰に遠慮することもなく働いて生きていけたら、自由で自立した生活ができていたら何も文句はないだろう。今はそんな生活が当たり前になっているから幸せを感じづらくなっているけどさ。

 

なんか去年あたりは感じていたむしゃくしゃしていたことも現在はべつに感じていないし。

 

・なんか「もっとスケールの大きいことをした方がいいのでは?」とか「大きいことがしたい!」という気持ちはあるけども、去年やその前に感じていたほどではない。

 

「いまのような仕事を1人でやっていても、あまり広がらない、スケールが大きくならないよな」という予測は変わっていないけど、もう少しは続けてみようかと思ってきた。

 

実質的にいま自営業で2年目なんですよね。2年目で「将来性がない!」って判断するのって普通に早いので。何事も5年くらいやらないと見えてこないからね。今から5年経ったら37歳で、「37歳で1人自営業ってちょっとダサくない?」と思っていたのだけれど、べつにダサくない気がしてきた。まあ世間ウケはあんまりよくないと思うのでそこはもっと追求したいけど、自分としての幸せは1人自営業をやっていれば確保できると思うので。

 

・ずっと望んでいて、やっと得た自由だからなー、今。

瞬間の感情で手放すべきじゃない。

 

 

 

・そこそこの月収になる仕事を受注している月は忙しいですね。

1つ仕事が終わったら、また次の仕事があって、それが終わったらまた次が。という日々を過ごしている。べつに普通か(笑)

 

普段は仕事と仕事のあいだにもっと空白があるので、とても忙しい感じがします!

 

6月になったら旅行の予定を入れているので、それを楽しみにがんばっています。

 

 

・余裕をぶっこいているので夏休みの予定も考える。考えて、飛行機チケットなど手配。友達も誘って完ぺき!

 

 

・よく考えたら去年の夏はお金使いすぎたな。北海道に20日ほどいて25万円ぐらいかかった。使いすぎ(笑)

当時は「年収から考えたら25万円使うぐらいいいだろ」と思ったが、1ヶ月の遊びで使っていい金額ではなかったのでは。ま、おかげで初めて北海道に行けたし、満喫できたし、「知らない土地でちょっと生活をしてみる」というずっとしたかった体験をできたので良かった。ひとつ夢が叶った。25万円で夢が叶うなら安いもんだ。

 

 

・福岡での生活が3年目に突入している。

 

 

ボードゲームで遊んだり。頭のいいメンツを集めてやると勝敗の予想がつかなくて楽しい。

 



 

・さて現在は6月1日。激忙の5月が終了!旅行に行ってきます!!

今年初めての長期旅行だ。仕事で成果出なくて苦しい時期をよく長期旅行なしで乗り越えましたね?すごいです。お疲れ様でした!!

 

 

・5月は「文章を書く人のためのサービス」の初めてのお客の仕事がスタート。評判もよく、手応えもあり、1ヶ月目と2ヶ月目の入金も無事確認!

 

ほんとありがたいぜ。新サービスは最初の1本を売るのが大変だからな。

 

・5月の上旬だったかな。新サービスが最高の相手に最高の形で売れてから、「今年はここを起点に仕事が盛り上がって行って、最終的に大儲けで終わる気がする」という予感を持った。

 

ほいで5月の30日、めちゃめちゃおもしろい相談依頼がメールで舞い込んで来る。

 

「今度さ、聖書を作りたくてさ、一回相談させて欲しいのよね」

 

爆笑。

 

「聖書は、作ってみてえな!!」ということで快諾。31日に打ち合わせして依頼内容把握。来週に現地取材に行くことに。

 

・依頼のメールに「これ(聖書)が作れるのはKちゃん(俺)しかいないと思ってさ」

とあり、その通りだなと思う。

 

「聖書を作りたい」と言われて「それはいいね!」と即答できるのはマジで日本で俺しかいないと思う。依頼されて思ったが、聖書は経営者なら全員作ったほうがいい。

 

・聖書なので作ろうとすると制作期間が1年はかかりそう。なので報酬もしっかり請求(えらい)。

ここからの1年の仕事は聖書作りだけでも充分だな。やりがいという意味で。

 

この仕事は絶対に受注したい!6月のミッションとします!やりがいのある仕事で、かつ大金がほしい!

 

 

 

・いやー、人生というのはなにが起こるか分からなく、楽しいね。

謎の、しかしワクワクする仕事が入ってくるのも楽しいし、「日本で俺しかできないだろ」という仕事があるのも楽しい。

 

 

 

・先月のブログで「いまの仕事は1人でいいかもしれない。仲間がいらない」と書いたが、やはり1人でいいのかもしれない。日本で俺しかできない仕事。これを追求しようかな。マニュアル化できない仕事を突き詰める。

 

 

・大学生の時に通っていたビジネススクールで「経営者の仕事は自分をクビにすること」と教えを受け、マニュアル化することや教育すること、システムを構築することの重要性を知った。「自分しかできない仕事をしているやつは経営者失格!」とか思っていた。

 

なので前にやった会社はそのようにした。

「いずれは自分がこの仕事をやめても残ったメンバーでサービス運営ができるように」

という目標で、サービス開発の段階から始めた。まだ始まっていないサービス。その運営を自分がやめた時のことを考えた。

 

だから初期から一緒にやる仲間を集めたし、「我々はこのサービスで顧客になにを与えるか?」という思想を統一した。思想を乱す人間は排斥した。「自分しかできないコンテンツ」は設計に入れなかった。できるだけ自分が表に出ないようにした。俺の個性をサービスの価値にしないようにした。個性を殺し、平凡なフリをした。

 

おかげでサービス開始から2年でマニュアル化に成功し、おれは運営から完全に引退した。現在もそのサービスは盛況だ。

 

というわけで、おれはビジネススクールの先生の教えを完璧に遂行したわけだ。優秀な生徒である。先生、ありがとう。

 

 

・しかし「自分をクビにすること」をやっている過程で、

 

「自分をクビにする。というのは、現実的ではないな」

 

と思った。

 

普通の経営者人生というものは、自分が創業した会社で一生働いていくものだ。自分をクビにする社長などいない。どの社長も社員の力不足に嘆き、後継者問題に頭を悩ませている。

 

自分をクビにするのは「会社にとって必要のない人」になることであり、社員にも顧客にも、家族や世間にも相手にされなくなるということである。そんな寂しいことを望んでいる人間はいないだろうとも思った。

 

自分をクビにすることを望んでいる人間がいないので、自分をクビにした経営者を評価してくれる人もいない(笑)価値を理解している人がいないから。そもそも価値がないのかもしれないから。

 

 

これは俺が自分をクビにしてから特に感じたことだ。「自分がいなくても運営が続くサービス」を作ったことは他者から評価されない。ただ「途中でやめたやつ」扱いをされる。

 

非常に腹立たしいが、理解されないのは仕方ないと諦めがついてきた。世の中は、他人の人生を巻き込んで経営をしているくせに「寂しい」という自分の感情を優先して自分をクビにしない、経営を限りなく永続的にしない無責任なバカばかりなので。しゃーねえです。

 

 

 

・あとはポジティブに「自分しかできない仕事を追求するのも充分に経営であるな」と思った。

「安定して利益を出し続けること」これを経営だと定義するなら、自分にしかできない仕事を確立することは、安定した利益を確保するのにとってもよいであろう。

他の人に仕事を取られるということが発生しないし、ゆえに料金も高額にしやすい。だって自分しかできないのだから。お客の選択肢は「自分に依頼するか、諦めるか」である。

 

これに関しては、おれの「第2の経営の師匠」と呼ぶべき存在が、自分にしかできない仕事をやっている人だからなのも大きいであろう。直接に指導されたことはないが、そばで見ていて影響されるものは多い。1人孤独に自分を突き詰めていく仕事人生はどこまでいっても悩みが尽きなさそうであるが、その悩みと共に生きていくのは楽しそうでもある。

 

 

 

・自分をクビにする経営はできたので、次は反対方向の経営に挑戦しよう!ということでもありますね。

自分をクビにする経営は世間ウケが悪いけども、おれは大好きな経営論なのである。そしてこの経営論を語ってくれる人は世の中にいないことも歳を取ってから気づいた。自分が大好きになれる経営のやり方に、経営を学び始めた最初に出会えるのはとてもラッキーなことだというのも気づいた。

 

ビジネススクールのあの先生と21歳で出会えたことは激しい幸運であった。その感謝を表すためにも、一度は自分をクビにする経営論を実行してみたかった。先生、僕やりましたよ!先生の教えは素晴らしいものでした。

 

 

そういう満足があるので、次は反対方向に走る。

ひとりで、自分にしかできないことを突き詰める。

 

 

2024年4月

2024年4月

 

・最近のヒット曲
BOØWY
「CLOUDY HEART」

youtu.be

 

 

 

・桜を見ましょう。

 

 

・干し椎茸を戻す生活。このあと鶏肉とこんにゃくで筑前煮にしました。

 

 

・福岡市内に遊びに行く時はだいたいホテルに泊まる。電車で30分で家に帰れるけど。。日帰りはめんどいので。。

 

このホテルは広いのに安い時はとても安い。

 

 

 

 

・「タモリを見よう!」というひらめきがあり、YouTubeで「タモリ」と検索する。結果、すごくいい動画を発見。

youtu.be

 

 

 

・福岡県糸島市。美しい風景。

 

 

 

 

・森にあるコーヒー屋。

 

 

 

・先月にやった陶芸のやつができた。普通にいい!思ったよりいい!小皿とお茶碗です。使おう。

 

・サーモンとしそのなめろう。美味い。フードプロセッサーなめろうを作るのいいね。この後にブリとみょうがでも作った。こちらも美味しかった。

ちょっとした自作の料理をアップするとき、「ちなみにお皿は自分で作ったお皿で〜」って言うと、なんか、アレだね!!

 

・マーダーミステリーというものをやった。非常に楽しかったのでべつのグループでもやりたいです!



・仕事。まだまだ苦しいけど、順調に来ている。

 

・自分が好きな人のためにする仕事って楽しいのだな。という感覚を久しぶりに味わっている。

1月のブログを書いているときに、「自分は文章を書いている人が好きで、その人のためになにかをしてあげたい」という気持ちに気づいた。これっぽいことは昔から言っていたはずだけど、「書いている人」という人物像が出てきたのは初めてだったと思う。昔は違う表現をしていた。

 

たまたまfacebookの過去の投稿のお知らせでこんなのが出てきた。6年前、2018年の投稿。

 

 

・当時に思っていた「想いのある人の言葉を発信したい」みたいなことと、いま思っている「書いている人のために」は、少し違っていて同じものではない。

 

いま「書いている人」という表現に辿り着いて、6年前の当時を思い出す。

 

・この頃は個人事業で編集者ではなくライターをしていた。当時、法人化をして会社を持とうと考えていた。それで社名や企業理念も考えたりして、考えていたのがこの投稿にあるような話だった。

 

結局、会社は作らなかった。余裕がなかったのもあるけど、「これで行くぞ!」と完全にスイッチが入った感じにならなかった。どこか踏み切れないものを感じていた。それでも自分がやりたいことであることは間違いではなかったから非常にモヤモヤとした日々を送っていた。

 

 

・いま「書いている人」という、自分のなかで最高峰に納得感のあるものに辿り着いて初めて、当時のこの投稿が自分の気持ちという的を、少し外しているのが分かる。

 

全然間違ってないし、ウソでもないのだけれど、でも自分の心を捉えきれていない感じがある。

 

 

いい言葉でまとめすぎた気がするよね。「想いのある人の言葉を発信する」って。なんか、みんなが「いい話だね」と思うことだ。そういう誰からも文句が出ない話を自分がすることが、俺の趣味ではないのは確か。

 

 

かといって毒を入れたいわけでもなく。なんだろうね。もっと「あまり他人が共感できないこと」でいいかな。「いい言葉でまとめすぎた」よりかは、こっちの方が正確だ。

 

 

 

「書いている人を応援したいんです!」と自分が言ったときに「だよね!!」と言ってくれる人はわずかと思う。たぶん現状の知り合いにはいないのでは。「ふーん」で終わる。それでいいかなと思う。

 

「想いのある人を応援したいですよね!」「だよね!!」という同業者からの共感を、俺はあまり求めていない気がする。

「夢を持つ若者を応援しよう!」てきなメッセージに近いよね。「応援しましょう!」とたくさんの人が湧いて出てくるイメージがある。

 

 

 

・なんだろう?仲間が、いらない、かな…(笑)

 

やーばい(笑)ここを掘ると、今まで見えてなかった自分が出てくる気がする。

 

 

 

「こういう人のために働きたいよね!」「ね!」

つって、仕事の仲間は集めるイメージがある。

 

「おれはこういうことをしたいんだ。一緒にやらないか?」とね。「いいですね!」と共感してくれた人間が仲間として集まる。

 

・こういう体験は過去にある。俺は自分の仲間を集めるのが好きだし、集めるのも上手だと思う。仲間を集めていく過程は、人生のやりがいを感じる瞬間の1つだ。前に勤めていた会社も、最後は非常にいいチームができた。あれを誇りに思っているし、自分が退職することによってあのチームを手放すことをもっとも惜しいと感じた。だから仲間と働くことが嫌いなわけでは全然ない。

 

 

 

・この仕事は1人でいい。

 

そう思うかな。この仕事は1人でいい。うん。

 

仕事のキャパシティ的に「1人で充分だから」という意味ではなくて、やりがいというか。

 

自分が本当にやりたい仕事だからかな。だから、自分がいてお客さんがいてくれれば、それで充分と思える。仲間と喜びを分かち合う必要は感じない。自分とお客さんで、充分に楽しい。

 

仕事仲間がいないからといって、1人じゃないよね。お客さんがいるから。自分のやりたいことに価値を感じてくれてお金を払ってくれる人がいるのであれば、孤独ではない。

 

 

この感覚伝わるかなあ。みんなでワイワイする必要がないこと。自分1人で「よし」と思うだけで充分に嬉しいこと。「誰かが一緒にいないと物足りない」そんなことは思わないだろうということ。

 

 

1人でいいよなー。

 

うーんとねぇ、誰かに理解や共感されなくていいと思うんだよね。なぜなら自分が本当にやりたいことだから。「なので、自分はやりますね」というだけ。「書いている人を応援したいよね!」と言って、誰にも共感されなくて仲間が集まらないとしても、べつに平気と思う。

 

関係ないからね(笑)

おれがやりたいことなのであって、それを他の人に理解してもらう必要はない。「理解してもらう必要はない」と思ってしまいますが(笑)他の人が共感しようがしまいが、俺が書いている人を応援したいことは変わらないので。

 

だから関係ないかな、他人が。おれはやるので。やりたいので。

 

 

・なんか「みんなは興味ないかもしれないけど、おれはやりたいから、やるね」

これで本当にやれること、やることが許されることって少ないよね?おれは人生のだいたいをこのテンションで生きてきてしまったので疎いが。

 

齢32歳、いま気づいたけど、

「みんなは興味ないかもしれないけど、おれはやりたいから、やるね」

これって普通は通用しないのかもしれない(笑)

 

 

だからこそ「おれはやりたいから、やるね」で進められる仕事なら、大事にしたほうがいい気がするな。仲間に気を使うことが増えるよりも、1人で伸び伸びとできるほうがいい気がする。自分がやりたいことを形にしていく段階なので。それは他人を巻き込んでやるべきことではないと思う。1人で好きにやればいいこと。

 

 

・「やりたい仕事」というのが自分から出てくると元気になりますね。去年の年末は「1人で仕事しててもつまらないから会社に入りたいなー」と自営業をやる元気がなくなっていたけれど、いまは1人でやる元気が出てきました。

 

 

 

 

 

2024年3月

3月

 

・これは2月に行って載せるのを忘れたコストコ

 

 

 

フードコートのメニューをひと通り食べて満足。

 

商品はそこまでお買い得なものはなかったので、牛タンだけ買って帰った。牛タンはけっこう安かったし家で焼いたら美味しかった。

 

 

・近所のお神社。2月に行った神社が人間がいて不満だったのでこちらへ。




 

・2月は仕事が上手くいかなくて大変でした。少し途方にくれる感じもあった。


そんななかで迎えた3月。ある日友達とボードゲームをした。プレイの序盤で明らかに流れが悪くなり、(これはすぐに負けちゃうな)と思った。しかしそこから運良く持ちこたえ、最終的には自分が大きく勝つことになった。

 

そこから感じたのが、現実でも「まずい人生終わったかも」と思っても実際は終わらず、命は続いていく。続いた先で良いことはある。なので「終わったかも」と思っても諦めないことだ。

 

ということを思って、もうちょっとがんばる元気が出た。元気が出た、という表現が本当に正しくて、それは自分としては新鮮な気持ちでした。

 

 

・もうひとつ思ったのが、「上手くいかない状況でもねばりにねばって、無理矢理なんとかいい感じで着地させる」というのが自分のこれまでの社会人人生だったよな、と。

 

キャリアとして最初から上手くいったわけではなかった。上手くいかないなかで、自分なりに状況をなんとか打開しようといろいろやってきた。それを20代にずっとやってきて、30代の今なんとか生活ができている。

 

そんな人生を振り返って「結果が出なくても8年ぐらいがんばればなんとかなるものだな」とか、「あまりにしつこく挑戦を続けていると、世界が根負けして『もういいよ』って感じで成功させてくれるのだな」と実感したことを思い出しました。

 

自己分析で、僕は基本的な性格としてはあっさりしたタイプで、「ちょっと手を出して、ダメそうだったらさっさと手を引く」という感じ。だから厳しい状況でも諦めずに努力を重ねることが苦手だ。だから2月のこの状況はきつい。。

 

と思っていたのですが、社会人人生を振り返ると全然そんなことはなく、うざいくらいに諦めが悪く、「成功する秘訣は、成功するまでやめないこと。失敗したところで諦めるから失敗になる」と本気で思っている人間でありました。

 

 

ということで、「なんら難しいことはない。いつも通りの自分でやればいいだけだ」とスッキリし、2月はテンションが低かったですが、3月は元気にスタートしたのでした。

 

 

・結果、それから5日ほどで状況は改善して、絶望的だったのがちょっと光が見えてきました。いやー、非常に勉強になった体験でしたね。やはり「もうダメだ」と思ったところからもう少しだけがんばれば希望は見えてくるものですね。夜明け前が最も暗い。

 

普通はどん底の状況に絶望してそこで諦めてしまうけど、どん底からもう少し時間を先にすすめることができれば、案外なんとかなったりするものだ。つらい状況の時こそ足を引かずに、あえてさらにもう一歩踏み出すこと。

 

去年は仕事であまり苦労をしなかったので、そういうことを忘れていました。思い出せてよかったです。世界が根負けして成功させてくれるまでねばる。仕事における僕の自分らしさとはこれですね。

 

 

 

・家で毎日ルーティーンを真面目にこなしていると変化がなく発狂しそうになるので友達を誘ってお出かけ。

 

・海です!!!

 

・これは山奥にあるコーヒースタンド。

 

・友達と遊ぶ日もカフェでルーティーン。えらすぎる!

 

・突然、陶芸に行くことに。けっこう楽しかった。高校の時に出会っていたらもっとハマっていたかもしれない。焼き上がりは1ヶ月後。

 

・中華食って締め。

tabelog.com

 

水餃子。たれがうまい。

 

エビマヨ。エビがデカくて満足。

 

あんかけ焼きそば。うまい!

 

ミニ麻婆丼



・福岡に引っ越してきて丸2年が経過。これといった感慨もないので特に書くことはないのですが。

 

代わりに最近見つけたカフェを見てください。

 

 

最高すぎる。大好き。この場所がドリンク代500円だけで入れてしまうからね。。もっと取ってもいいのよ?

 

 

 

・福岡でいい感じの会社の求人を見つけたので応募。返信なし(笑)

おれは会社員として仕事をしたいと思っているのに会社が入れてくれない。まあおれも全然真剣に応募してないけど。

 

会社にスルッと採用されないのは「お前はまた起業しろ。いちばん大変なことをやれ」というメッセージかもしれない。しかし今はまだそれを全力で拒否したい。なぜなら起業は大変だから。大変だからやりたくない。

もっとラクな道はありませんか!?それを探すのには真剣です。

 

おれもみんなみたいに、誰かが作ってくれた環境のなかで守られながら好きな仕事がしたいぜ。誰かの庇護下のもとでな。

 

 

大企業で月給もらいながら新規事業をしたい!

 

片腹いてえよな、ほんと。大企業で給料もらいながら、有給で休みながら、会社のリソースを使って新規事業(笑)を成功させたやつが「新規事業のプロ」とか言われているからな。

 

1人でゼロからやれ。売り上げが作れてないのに月給もらって生活は安定しているやつが、ほぼ他人のリソースで作った新規事業など、俺はビタ一文認めない。そんな経験は経験とは言わねえ。

 

 

僕の思想にはこういうところがありますね、うん。

 

 

・だから会社に入りたい!おれも1人でゼロから新規事業は大変だからもうやりたくなくて、会社から月給もらいながら新規事業(笑)がやりたい。

 

気づいたんだよね。世の中はそんなやつらばかりだと。世間で新規事業のプロと評価されている人も新規事業(笑)の出身の人だもの。で、僕のほうは評価されないからね。

 

世間がそれでいいなら、もうおれもそれでいいよ。おれは意地を張るのをやめた。

 

 

だから会社に入りたいのにさあ、入れてくれないんだよなあ。

 

マジでさあ!(ムカついてきた)

なんでいつもおれの人生の選択肢には、他のやつの人生にはある「ラクな道」がないわけ?

毎回いちばんきつい道へのトビラしか空いてないんだが!昔はきついのを知らないから「お、ここのトビラ空いてる~♪」と思って通ってきたけど、いまはもうその道は経験済みで、この道がきついのは知っているから通りたくないんだけど!

 

 

・最近の心境はこんな感じ。「絶対もっとラクな道があるはずだ」と思ってラクな道を探している。たぶんないのだけど。それは知っているけど、限界までラクな道を探したい。

 

もう嫌なんだ、大変な人生は。もっとラクに生きていきたい。

 

本質的なことをやっても評価されないのなら、おれもみんなと同じように意味ないことをやりますよ。ええ。

 

 

意地を張るのをやめること。これが自分に今までなかった選択肢を与えてくれると思うのだけど。果たしてどうなるでしょうか。




2024年2月

村上春樹が原稿用紙10枚分の小説を書くことをルーティーンにしているという話を知る。

どんなに書けない日でも10枚は書けるまでがんばるし、逆に調子がいい日でも10枚でやめるらしい。なぜならそこでたくさん書くと「いっぱい書いたからもう今週は書かなくていいや」と思ってしまい、継続するうえでそれは危険だから。らしい。

 

この「調子がいい日にも決まったところでやめる」というのが新鮮だった。そして「いっぱい書いたからもう今週は書かなくていいや」が今の自分の状況に刺さりすぎた。

 

10日に出したいと思っていた原稿があり、2月の3日、4日でがんばったら割と完成間近まで書けた。それで「10日には余裕で出せるな」と安心して、その後はすっかりサボっていたところだったので。

 

・急ぎの仕事があるとき以外、おれは基本的にその日の気分で働いたり働かなかったりしている。最近は案件自体が少ないのもあり、そして基本的に働かないに傾く日が多かった。普通によくないよなーと思っていて「ルーティーン的なものの導入が必要かもしれない」と感じていたところだったのでルーティーンを導入してみることにした。

 

・最初は村上春樹てきなものにしようと思ったが、私は小説家ではないので不採用。原稿を書くだけが仕事ではないので。この「自分にあった効果の期待できるルーティーンを考える」というのは非常に難しい作業だ。

考えた結果、以下3つの作業をルーティーンとすることにした。

①人に見せるための文章を1文字書く

②新しい小説を1文字読む

③仕事の勉強用の本を1文字読む

 

村上春樹の「調子がよくても決まったところでやめる」という要素を入れ込むことはできなかった。あんまりハードルが高いと大変でとっつきにくいし、簡単すぎても不十分だし、とちょうどいい箇所を探すのが難しかった。

 

ので普通に「やる気になりやすい簡単な目標」という要素と「やりたければ1文字以上やっていい」ということにした。

①がアウトプットで②と③がインプットですね。どちらも直接に案件に関わることは少ないけども、自分の仕事を考えると継続的にやっておいた方がいいことだ。でも最近はあまりできていない印象だったのでルーティーンに入れてみることに。果たしてどうなるでしょうか。

 

 

 

・本屋カフェ。素晴らしいね。

 

 

・近所の喫茶店。いいですね。

 


・チキン南蛮。

 

 

・王将。ラーメンうま!

 

 

・これおいしい。

 

 

・春巻きつくった。うまい。要練習。

 

 

 

・新幹線で東京へ。その後に神奈川へ。

 

わー。けっこううまかった。

tabelog.com

 

 

 

 

 

・移動して小田原!

 

・集まり。

 

・小田原には良すぎる店がある。良すぎるので内緒。

 

 

・小田原の集まりは非常に楽しかった。充実。今回は全員で4人いたけども、話の合う人間が4人もそろうとかなり盛り上がりますね。ベストメンバーを4人集められると楽しい。

 

 

・解散して横浜へ。今の自分のなかでベスト寿司を発見する。サイズ感がちょうどいいんだよね。お寿司の評価についてサイズ感という概念を持っています。

 

基本メニューが「ラーメンと寿司のセット」というコンセプトの店。

tabelog.com

 

 

 

・さて2月も終わりですが。仕事は上手くいかない月でした。今年のなかで重要な月だったのですが、上手くいかず。ということで仕事の状況は大変に悪い。

 

改めて、自分の人生に対してシビアな人生観になっています。自分の人生が他の人に比べて厳しいものだということは20代で分かってきましたが、20代で苦労した分、30代はラクに過ごせるものと思っていました。しかしどうやら、そうでもないようです。

 

「これで上手くいったらラクだなー」と思ってやっていることは、やはり上手くいかないですね。自分の最大限を出した納得感があるものじゃないと通用しない。通用したとしても、世間の基準で言えばほんのちょっとの成功だからきつい。最大限でもちょっと。

 

・現在、その自分の納得感、自信があるものに挑戦できたのですが、これも現状は上手くいっておらず、つらい。そろそろこちらも打てる手がなくなってくる。

 

この大変な状況はぜひ少しの時間で終わるといいですね。今年がずっと「なにをやっても上手く行かない」では大変すぎる。

 

 

・僭越ながらこれまでの人生経験により、このような今までやってこれたことが全部ダメになっていくときは、なにか新しい道に踏み出すべき時。という理解があります。

しかしすでにわりと新しい道への挑戦はして、それも結果が微妙だったので、なにか今の自分が予想していない選択肢が今後に出てくるのかもしれません。

それはそれでかなり楽しみですが、出てくるなら早くして欲しいですね。

 

 

・大変な状況になってみると、自分のメンタルが強くなったことを実感します。大変な状況のかわし方、向き合い方、とらえ方、抜け出し方など知識の多いことに気づきます。なので大変ではありますがメンタルは強靭ではある。わりと毎日は楽しく過ごせているし。

 

 

・しっかし、「つらい状況をなんとか乗り換えて成長していく」という青春期は終わったと思っていましたけどね。30代は20代に積み重ねた貯金でラクに生活していけると思っていました。もしかして難しいことに挑戦し続ける、そんな疲れる人生はまだ続きますか?勘弁して欲しいです!

 

 

これ書いているのが3月1日。3月の13日ぐらいには、思ってもみなかった助けがあってすべてが好転してないですかね。…残念ながらそんな簡単なことは僕の人生に起きないのです。。つらい状況から誰かが救い出してくれた経験はほぼない。いつも自分で動かないと改善されない。他人の体験談を聞くと誰かの助けがあったことが多い印象で、その点で(他の人間の人生はラクそうだな)と思っています。

 

 

・まあ、今の状況は単に自分の実力不足が招いている可能性が高いのですけれど。商売に関しては去年でつかんだ感じがありましたが、それは幻で、自分にはまだまだ足りないところがあるのかもしれない。

 

それならそれでいいか。考えることは分かりやすいですし。だけど去年が好調だった分、なぜ今年はダメなのだ?という疑問と世界への不信感が残ります。

 

 

・つうわけで残念な2月でしたけども、がんばれたこともありました。冒頭のルーティーンとか。今月は毎日ちゃんとやれました!変に誤魔化したこともしなかったし!えらい!

 

それはよかったかな非常に。「努力」とか「苦しいけどがんばる」ということをしてこなかった人なので。ちょっとやってみて旗色が悪いことはさっさとやめてきた。見切りはいいけども、粘りは足りない。今月の仕事は反応は悪いながらもちょっと粘れたのでよかった。

 

こうやって積み重ねていけばいい感じになれるかもしれない。ルーティーンは来月も継続します。2週間やっていい感じということは1年やってもいいと思うので今年はこれでがんばります。