これはフィクションです

34歳。男性。会社員。独身。

2024年10月

・9月に引き続いて自己肯定感が下がる期間を過ごしている。

 

・10月はリリースした新しい商品の集客するはずだったが、プレッシャーのせいかそもそもアクションできず。

 

・いま特に仕事ないのでヒマ。営業をする元気もない。ひとり静かに過ごす。

 

 

・7月にお客からクレームが入った。内容としては事故みたいなものでおれは完全に悪くないと思うが、あれでかなりテンションが下がった。そういう変な客が来ないようにしていた仕事だったのに来たので「こんなことになるならやりたくないんだけど」という感じだ。もともとすでに自分にとって「ぜひやらせてほしい仕事!」ということではなくなっているので、さらにやる理由がなくなった。

 

いやまあ、たまたま運悪く来た1件のクレームに傷つき過ぎなのだが、それでも今は拗ねている。

 

 

・1人暮らしの家でヒマを持て余して過ごしていると、自分がどんどん無になっていくのを感じる。それはいいことだ。

 

 

・前に知り合いと話したのだが、人は本来、自分ひとりになった時に「やりたいこと」というのはないのかもしれない。

 

やりたいことというのは、他の人との関わりのなかで生まれてくるものだと思う。困っている人がいたり、なにかを手伝って欲しいとお願いされたり。

 

なので今のように1人で暮らしているとなにも思いつかない。よくない。

 

 

 

・「人と関わることが大事だね」というのを心に食い込ませるように知る期間である。

1人でいてなにも生まれないのなら人と関わるしかない。

 

 

・最近はほとんどの仕事をインターネットで集客していたが、現実での営業活動もやっていこうという所存だ。この2年半、やろうやろうと思って全然やってこなかったのだが、ついにやるしかないようだ。

 

・今の自我が崩壊した自分でまちに出ていこうと思う。こちらはやりたい仕事などの意図はない。ただ人と交流し、困っている人がいれば助けてみる。そういう原始的な交流をしていきたい気持ち。

 

 

・福岡に引っ越してきてからずっと「やらないとなー」と思いながらやって来なかった地元民との交流をやってみましょう。

人と会い、仲良くなり、困っている話を聞いて、やってあげたいなと思えることを探すのだ。

 

 

・ヒマなので夕焼けを見る時間がある。

 

 

ここはいいところだ。自分に自信がなくなり、いろんなことが不確かになっていくなかで、それだけは確かだ。

 

 

 

・ぼーっとしていたら知り合いから仕事がきた。ありがたいことだ。完全に受け身で仕事が来ることは少ない。でもこうやって向こうから来てくれるのがいちばん助かる。おれは実は受け身な人間なので。受け身な人間であるならば他人との交流が余計に必要でしょうよ。なぜかおれは1人でいようとしているが。それをやめたほうがいい。地元で交流をしていくのだ。

 

 

・自分からはなにも宣伝せず、こうやって引きこもっている時期に仕事の依頼が来ると「おれはまだ世界に必要とされているな」と思える。「まだ生きていてもいいのですね?」と。

 

おれは、需要がないのであればそのまま社会から消えていくことにあまり抵抗がない。だから仕事がない時期にしっかり営業をするのではなく、ぼーっと過ごしてしまう。これは自営業をやっていくのに致命的な欠点だと最近に気づいた。

 

 

・33歳を過ぎても悩むことは多いが、それは33歳だからだ。と思えるようになった。先は長いので焦らず悩めばよい。

 

 

 

・ヒマだしお金もなくなってきたので近所でアルバイトを探してみることにする。いくつか応募。よさそうなやつに採用される。このような地元民との関わり方もありますな。これまで「近所で開催されているイベントに行く」はほぼ全て失敗した。おもしろそうなものがなかったから。アルバイトという切り口は新しいかもしれない。

 

 

・バイト初日。非常によかった!次も働きに来よう。久しぶりに朝起きて外に出て労働をした。ひと仕事だったがとても爽やかだった。おれに必要なのは肉体労働だったのかもしれない。

 

バイト先のいい風景。

 

・よく考えたら、バイトしながら自分の仕事もすればいいのだった。仕事が多い時期でもまあまあヒマなので。おれは忙しいことが本能的に嫌いなので「忙しい」という状態になることはあり得ないとこの5年が証明している。

 

あと頭脳労働は1日に3時間ほどしか集中できない。作業を8時間するのはムリ。

なので時間はあるのです。どんなに忙しくても3時間しか仕事はできないので、あとはヒマを持て余していた。なのでそのヒマを使ってちょろっとバイトをしていればよい。肉体労働と頭脳労働のダブルワークですね。これまで頭脳労働と頭脳労働のダブルワークばかりを考えていたがそれはムリだ。健康にも悪そう。

 

 

 

・さて、バイトを探したり、したり、仕事をやったり、友達と遊んだりしていたらちょっと元気になってきた。よかったよかった。元気になるのにもう少しかかるかなと思っていたけど軽傷で済みそう。

 

人と関わっていこうという気持ちが芽生え、心境は新しくなった気がするので、もう落ち込んでいる必要はないということだろう。

 

 

・ポトフ。

 

撮影用の盛り付け

 

 

・文章を書くことを習慣にしたい人の習慣化を手伝う仕事が今月から始まった。時間を合わせてzoomを繋いで一緒にブログを書いたりしている。なにを書くかについて話したり、書いたものについて感想を言ってあげたり。

 

文章は書いたほうがいい!

 

言いたいことを言葉にするのが苦手で遅れる人を見たりすると思う。「文章を書け!」

言いたいことを言葉にする能力=言語化は訓練次第であがっていくと思う。それに訓練しないと成長しない。

 

普段の仕事が工場での作業だったりする人は、日常で言葉を使うことは少なくなるので、まあ仕方ないよなとは思う。

 

それでも言葉を使う能力は身についていると楽しい。自分が相手に言いたいことも言えないようじゃポイズンなのであります。

 

・自分の気持ちを吐き出す先としても文章を書くことはよい。文章を書かない人は、周りの人に「ちょっと聞いてよ!」といきなり気持ちをぶつけるのだろう。そんなことをするから相手に嫌がられるわけです。

自分の気持ちを文章として吐き出して表現することを覚えられれば、不安なときも怒ったときも、それを文章に書いて整理して落ち着くことができる。周りの人に感情の大きなボールをぶつけて痛がられることはなくなる。

 

最初は自分の気持ちを文章にまとめていくのは大変だろうけど、これは練習すればちゃんと上手になっていくと思う。逆に練習しないといつまで経っても上手にならない。

 

 

ということをおれは昔からよく知っているのだが、人にすすめてはこなかった。まあ2人か3人くらいはいたか。でも多くの人がやったらいいことだと思っている。思っているのならすすめていけばいいのだ。

 

 

 

 

 

・自分が楽しんでいること。大事だと思っていること。それを人に勧めていこうという心境。これまでのように「好きなやつだけやればいいんじゃね」ではなくて。

文章を書くことは人生においてちょー大事だし、かなりおもしろい作業だと16歳くらいからずっと思っているが、それでも人に勧めることはしてこなかった。

すでに文章を書いている人間と「楽しいよね!」と語り合うことは多くしていたが。

 

だってどうでもいいしね。興味がないやつにわざわざ教えていくのって大変だし。相手の反応も悪いしさ。俺は自分の話がスベるのが嫌いなので、相手が自分の話に興味がなさそうに見えると「興味ないならいいや」と話すのをやめてしまうのだ。

 

それでいいと思っていた。おれだって自分が興味のない話を聞かされるのは嫌だし。おれがつまんなそうに聞いているのにそれを気にせず鈍感に話しかけてくる人も嫌いだ。だからおれはおれの話に関心のある人間に、その人が興味を持つような話を考えてするようになった。

 

おれがしたい話、というのはあまりない。どんな話をするにしても相手に興味がある話題であることが前提になる。

 

だからおれが趣味として好きで、結果として知識も深いことでも、相手がその分野について関心がなさそうであれば話さない。ということでおれのトークの良し悪しは聞いている相手によってかなり変わる。このような意味でおれはとても受け身な人間であるのだ。

 

ということを今年の夏に再認識した。少し忘れていたことであった。

 

 

 

 

・他者に対して心を開いていこう。という気分になってきたところ。

近所の友達のシェアハウスが騒音により強制退去になり、次の家が見つかるまで我が家に避難してくることになった。

すごい体験だ。去年に同じことを頼まれたら断っていた気がする。

 

やはり新しい決意をすると、それに合わせるかのように現実が動いていくものだ。

 

 

・昔のお友達から集まりの誘いもきた。こういうことはとても珍しい。珍しいことが重なっている。なにか新しいことが動き始めようとしている感じがしてきた。わくわく。

 

・先が読めないことは楽しい。できると分かっていることをやるのはつまらない。

 

 

 

・この先で我々を待つものは、いったいなんだろうか。