これはフィクションです

32歳。男性。自営業。独身。

2020年9月27日午後3時23分

最近は弱さを認めてくれる、理解のあるリーダーが流行っている。

弱者に媚びる連中、それに群がる連中。

 

多様性という言葉がなにか重要なことのように語られることが多くなってきたが、いま言われている多様性は弱さばかり。「弱者にも自分らしく生きる権利はあるはずだ」と。

 

それを言うなら強さも多様性だろうと思う。

お金持ちがお金を持っていることも妬まずに認めてくれたまえ。それが多様性です。

 

どうも弱者の自己主張の盾に、多様性が使われている気がしてならない。




仕事の人員の募集をするとたまに、

 

発達障害があるんですけど大丈夫ですか?」

 

という自己紹介が来る。

 

知らん。

こちらが頼んだことをきっちりやってくれればなんでもいい。お前が大丈夫だと思うのなら大丈夫だし、不安に思うのなら無理なんだろう。お前が決めろ。



 

発達障害だろうがシングルマザーだろうが、俺の知ったことじゃない。

俺も検査したらなにかしらの障害だろうが、検査しないのは、その結果で自分のやることが変わらないからだ。

 

どんなに不利な条件が自分に付いていようと、俺が自分で金を稼がないといけないことは変わらない。

 

 

 

まったく、「障害者だから仕方ない」と自分で諦めのレッテルを貼るなバカが。

自分で自分の尊厳を傷つけるんじゃない。

 

人が終わるのは、他人に無理だと言われることではなく、自分で無理だと思った瞬間だ。



発達障害もシングルマザーも、人と関わって人のために働かないといけないことは変わらない。そこはみんな同じ。お金のためにも、人生のやりがいのためにも。

 

 

発達障害で普通に働くことができないなら、なおさら自分で新しい仕事を追求しなければいかん。与えられたものをこなすのが難しいのなら、自分で作るしかない。



 

自分で何かを為す責任から逃げるから自信がないままなのだろう。

 

障害のせいにするのも、家庭環境のせいにするのも、国や強い人に頼ろうとするのもすべて責任から逃げているだけ。

 

自分で為すことから逃げていては、自分の尊厳を取り戻せない。