これはフィクションです

32歳。男性。自営業。独身。

2021年6月3日14時22分

仕事というものは、自分の都合を考えてやると終わると思っている。

「今月の売上は◯◯円出したい」とか「2ヶ月に一度リピートして欲しい」とか。

 

そういうのは売る側の都合であって、買う側であるお客さんには関係のないこと。



受け身でいること。来た依頼に応え続けること。

もしかすると主体的であることより難しい。

 

相手が求めるものそのままを出す。というのが難しい。

どうしてもエゴが出る。自分のプラスαをそこに乗せたくなる。

 

「相手の注文通りの100点に、自分のオリジナリティの20点を乗せて120点を出そう」

 

という試みのほとんどは、120点ではなく80点になっていると思う。自分の色を出した分だけ、

「いや、こういうことじゃない」と、お客さんの欲しかったものとズレる。

 

自分が出したいものではなく、お客さんの要望のその先の20点を適切に乗せるのは至難の技な気がしてきた。

自分のなかに少しでもエゴ、自分の都合があるとその20点は出せない。



こちらが人に仕事を頼むときに、

「60点の出来でいいですよ(あとの40点は自分で埋めるので)」

と言うことがある。100点を出してくれる人を探すのは大変なので↑の考えになった。60点なら出してくれる人は結構いる。

 

だけど向こうが「100点を出そう!」とはりきって自分のエゴで40点を乗せる。

その40点がそのまま全部マイナスになって、結果は20点の成果物。そんな体験もあった。




なんつうか、微妙な話だが、「自分に何かができる」と思いすぎているとダメで。

 

最近、久々に教育の仕事を再開したが、前にやっていた時と決定的に違うのは自分のエゴがないこと。「生徒にこうなって欲しい」という意図がない。自分の言葉で相手を変えられると思っていない。どうなってもいい。成長しても、しなくても。

 

昔は違った。相手になってほしい状態があったし、自分の力で人を変えられると思っていた。30歳すぎてそんな過信を自分に持っている奴は嫌いだな。結局、そんな過信をし続けていられるということは、人にちゃんと向き合ったことがないということ。

 

教育の仕事をしている人は、教えたがる人であって、その分野に最も詳しい人ではない。

自分の人生経験を語っている人は、人生経験が豊富な人ではなくて、ただ語りたい人であるだけ。

 

 

生徒に「おかげさまで最近いい感じです!」と言われ、それで自分の内側にプラスの感情がほぼ湧いてないことに気づいて、自分から意図が消えていたことを知った。意図が消えたのはよかった。教育という人の人生に口を出すうぜえ仕事は、そういう純粋な状態の人間だけがやるべきだと思う。

 

自分の目標にしている、エゴが消えて悟りに近づいている人は知り合いに何人かいて、そういう人たちはなんというか、本人からなにも出ていない雰囲気がする。共通してあまりしゃべらない。ただ、そこにいるだけ。それでもこちらが引き寄せられ、話を聞きたくなる。そんな雰囲気がある。