これはフィクションです

32歳。男性。自営業。独身。

2021年1月3日午前1時34分

村上龍の『希望の国エクソダス』を久しぶりに読んだ。

 

ー2002年秋、80万人の中学生が学校を捨てた。経済の大停滞が続くなか彼らはネットビジネスを開始。情報戦略を駆使して、日本の政界、経済界に衝撃を与える一大勢力に成長していく。その後、全世界の注目するなかで、彼らのエクソダス(脱出)が始まった。ー

 

同じタイミングで「日本にうんざりしたので来年は別の国の永住権とります」と宣言している人を見た。

気になったので「日本からの脱出」ということについて書く。

 

 

まず、いまの自分に日本から脱出したいという希望はない。

日本という国そのものから抜け出してしまうのは、個人的にはもったいない。

 

なぜなら納豆が好きだから。あとわさび醤油べっちょりのお刺身で白ごはんを食べるのも好き。

そういうものを定期的に食べるなら日本で暮らすのがいい。

 

 

脱出すべきは、日本という国ではなく、日本の社会であったり、組織であったり、価値観であったりすると思う。

 

うんざりした部分だけ脱出していく。日本で暮らしながら日本社会との関わりを最小限に留める。スケールの大きい引きこもりみたいなものを考えている。

 

 

例えば会社。日本の伝統的な会社はうんざりするほどつまらないので、そういうものからは脱出したい。現にいま脱出している。 

 

会社から脱出すると、同時に他のわずわしいことからも脱出できる。

通勤。満員電車。早起き。1時間しかない昼休み。無駄な嫉妬。下世話なゴシップ。

 

すべてがどうでもいい。そういうものは丁寧に自分の人生から削除していく必要がある。 



 

脱出ではなく、そもそも脱出する必要があるような場所に加わらない。

めんどくさそうなことの当事者にならない、という逃げ方。

 

例えば学校教育。

子供にとっても親にとっても悩ましい問題が多々あるが、自分が大人になってしまえば関係ないし、子供を持たなければ他人事のままでいられる。

 

結婚。結婚しなければ夫婦の関係、親戚付き合い、世間一般の夫婦のありかたという圧力。そういったものと無縁でいられる。

 

政治。数年前から意識的にニュースは見ないようにした。政治家や官僚に腹が立つことばかりだから。不祥事も知らなければ怒りは生まれない。

 

 

 

というわけで、当事者にならないというのは大事だ。当事者になるから社会の問題が自分の問題になってしまう。一般には「当事者意識が必要だ」みたいな話がされますけどね。あまり大きなことを個人が抱え込まない方がいい。無力感が増すだけです。

 

日本国で暮らしながら、日本社会と決別する。そういうのがよいでしょう。