2019年の7月にお友だちと創業した会社で働くこと、1年以上が経過した。
創業のさいに決意したのは「カネを稼ぐ」ということだった。
仕事だし会社だし、カネを稼ぐのは当たり前なのだが、自分にはこれまでその意識が薄かった。おそらくカネを優先順位の1番にして働いていたことは過去に一度もない。
やりがい、自己成長、他者への貢献、カネに現れない社会的な価値。そういったものの方が重要だった。
大学を卒業して働き始めた会社員のときなんて、自分がもらえる給料がいくらか確認せずに入社したし、ボーナスがないことも入社してしばらくたってから先輩の愚痴で知った。ボーナスがいくらかなど本当に興味がなかった。
「自分がやりたい仕事ができるか?」
それが叶えば報酬はいくらでもよかった。
こう書くとなにか高尚に見えるかもしれないが、いま自分で振り返って(こいつ資本主義社会で生きていくにはアホすぎるな)と思う。
ほとんどの価値が貨幣、カネで交換される現代で、カネから逃げて仕事をすることはできない。カネがもらえなければ、その仕事には価値がないのと「ほぼ」同じになる。
(価値があるのにもらえるカネが少ない行為が存在しているのが資本主義の欠陥と思う。逆にオレオレ詐欺や銀行強盗でもカネは稼げてしまう)
そういう現状から逃げて「お金じゃない!」と言うことは、あまり賢いことではない。と思うようになった。いまの世ではだいたいのことが、お金だ。
だから会社も仕事も、お金が第一にあるべきだ。
どこにもないサービスを開発するのは、それでお金が稼げるから。
外注先だろうと自社で働いてくれる人をフェアに扱うのは、彼らが満足感を持って働いてくれるほどお金が稼げるから。
社員のやりたいことや個性を大事にするのは、そうしたほうがひとりひとりの生産性があがってお金が稼げるから。
会社に利益がもたらされないのなら、部下の将来の目標など聞いたりしない。
うちの会社は税金で運営されてないし、俺の給料も助成金で払われたりしていないからだ。
「お金じゃない!」→「カネだ」の転換はこの1年でうまくいった。
そしてカネを第一にして働いていない社長が実は多いことにも、転換したてだからこそ気がつく。
なんとなく現代では、「お金じゃない!」と言うほうがモテるしな。
お金じゃないことが存在することは否定しないが、それを会社でやるのはいかがなのかね。お金に変換できない良いことは、ボランティアでかつ1人でやるべきことだ。多くの人にはお金が必要だから、報酬として現金が渡せないことに他人を巻き込むのは代表としての責任感に欠ける。他人の人生を使う資格がない。
最後に。
自分にとって良いこと。客にとって良いこと。働く人にとって良いこと。社会にとって良いこと。
それをすればすれほどお金に、利益に繋がるよう事業を設計するのがビジネスマンとしての腕の見せどころだ。良いことをしてカネが稼げるのが1番いい。そうなっていないのは事業の設計が間違っているからだ。考えたやつがアホ。