左肩が痺れている。この1年変わらない身体の症状だ。
この十数年、わけわかんねえこの世の中で、こちらも負けじとわけわかんねえことを口走りながら、どうにかこうにか「ここらで手打ちにしようや」と言える妥協点を探ってきた。
現状まあまあ満足のいく交渉になっているが、同時に身体に終わりがきている。「この身体は今年でおしまいだな」という素直な予測がある。おじさん、顔は古いままでいいので新しい身体を焼いておいてください。おじさん?
鼻と頬が同じパーツで作られたおじさんは俺にはいなかったのでなんとかいまの身体でやっていく必要がある。
身体に詳しい人に不調について相談すると、なんかどうも俺は自分に厳しすぎるらしい。
はあ?どこが?と思うが、こういうのって自分では分からないものだな。
例えば、夜中や土日でもメールを確認して返信するのって身体によくないらしいね。しょうがねえじゃん。俺、土日にメール返信しないやつ嫌いなんだよ。2日!2日も待たせやがって。2日あったら大抵の仕事は終わるわ。
俺のなかで仕事って「生活していくための手段」とかじゃなくて「仕事。それは男の人生」みたいな感じだからどうしても厳しくなってしまう。
仕事の愚痴とか弱音を吐くことを俺はあんまできなくて、それをすると自分自身から「嫌ならやめろ。できないなら死ね、この無能が」と言われてしまう。
そういう厳しさのなかで(でも本人はけっこうのほほんと)この何年か暮らしてきて、その代償が身体の終わり。
「できない?できないことなどない。できるまでやり抜いたことと、途中で諦めたことがあるだけだ」てきな価値観で暮らしていくのは緩和させたほうが良いらしい。はい。
こういった話を最近考えていて、んで思い出したんだけど、べつに仕事を始めてから俺はこんな厳しいことを言い出したのではなくて、昔からそうだった。
小学校6年のころ。当時はお笑いに凝っていて、それが俺にとっていまの仕事みたいな大事なことだった。
他にもお笑いに凝っている子が何人かいて、その子たちとグループを形成していた。
授業中、先生にあてられたときに真面目に回答すると「おい、なんでボケねえんだよ」と小突かれるような集団だった。
そういう意識の高い集団のなかで楽しく過ごしているときに、友だちのひとりが(チャンスだぞ!)という場面で、笑いを取りに行かないことがあった。
俺が「なんであそこで行かなかったんだよ」と問い詰めると、その友だちは、
「だって恥ずかしかったから」と言った。この一言が当時の俺を完全にキレさせた。
「恥ずかしいだ?恥を捨てなきゃ笑いは取れねえんだよ!お前はかっこいいのか?勉強ができるのか?スポーツができるのか?なにもできねえだろ!そんなやつがかっこつけてどうする?なんにもできない俺たちは、恥を捨ててお笑いをやるしかねえんだよ」
けっこうこのままのことを当時小学6年で言っていた。嫌だわ、こんな小学生。
この言葉はその友だちを表したものではなくて、たぶん自分自身に対して思っていたことだったのだろう。
かっこよくない。勉強できない。スポーツできない。じゃあ、お前の存在意義はなんだ よ。できることはなんだよ。と。
自分を追い詰めるタイプの厳しさが俺にはあり、そのおかげで大きくもなれたが、しかしこれでやっていくのもそろそろ限界なのだろう。しかしすぐには変わらんよなこれ。小6からこれじゃあな。