これはフィクションです

32歳。男性。自営業。独身。

4月16日から30日

4月17日

・暇だったので神戸に遊びにいく。2泊3日

優雅なホテルに泊まる。本当は1泊2万ぐらいする旅館に泊まってみたかったのだが勇気が出ずに1万円台のシティホテルに。

 

4月18日

・今回の目的の1つである、セミナー会場の下見をさせてもらう。
最寄り駅から近く、場所も分かりやすく、内装もよい。やはり場所に来ると開催のイメージが湧いてくる。

 

 

・そのまま知り合いとしゃべってメシも食う。

店はここ。

tabelog.com

 

 

 

 

全部うまい!また来たい!

 

・美味しい料理、美味しいお店を見つけるのむずくて、チェックポイントが複数あり、そのすべてで平均を上回らないと「うまい!また来よう!」にならない。味だけではなく店の雰囲気とかもあるし。

 

これはもう、その店のオーナーや料理人とセンスや味の好みが合うか?になってくる。上記の店はとてもよかった。

 

東京でまた行きたい寿司屋があり、そこはアジの上に薬味として生姜ではなくネギを細かく刻んだものが乗っている。それがとても良くて、おれも家でアジの刺身を食べるときは生姜よりもネギを用意するので、「ネギとは。あんた、分かってるね」と共感が生まれて楽しい。そういう店はリピートをする。そういうことです。

 

 

・メシを食いながらさまざまなしゃべりをして知見を得る。

自分が最近ぼんやり思っていたことを話題にできて、解像度が上がる返答もきたのでよかった。
こういうことをしておれは自分の考えを進化させていくのだなと思った。やはり1人で考えることには限界があり、人と話すとよい。

 

しゃべっていて、自分が面倒な状況にハマっていることにも気づいた。面倒だ。

 

6月にも遊ぶ約束をして解散。楽しみ。

 

 

19日

・別の知り合いと三ノ宮で会って話す。こちらも重要な会話がなされた。

「自分の不足を補う相手はあなたなのかもしれない」という感触をお互いに得たと思う。

 

「昔にやろうとしたが、必要なピースが足りずにできなかった。そして封印した」

というプロジェクトがそれぞれにあり、我々が出会ったことでその封印のいくつかがお互いに解かれそうな感じがした。

 

こういうこと、「やりたかったができないので封印したこと。その存在を自分さえ忘れたころに、また挑戦できそうな機会が回ってくる」ということは人生においてありますね。忘れたころに、というのがキモ。それぐらいの時を経て機会は回ってくる。「そういえば、おれもそういうことを昔にやりたいと思った。クラウドのどこかに企画書があるはずだ」という感じで。

自分が本当に強いところ、果たすべき役割というのもひとつか2つなのだろうな。こだわりを持たず、やりがいを持たず、自分よりもできる人間が出てくれば潔く任せたほうがいい。おれはそこがスッキリしていてよい。

 

・アイデア出しや発明がビジネスにおけるおれの強みと思いきや、これも違ったようだ。1つの事業に0から10までの段階があるとして、0.1から4までにするのがおれの役割かな。完全にゼロから生み出すのはできない。でもアイデアを計画に落としこんで発想を膨らませていくことはできる。だからアイデア持っているやつが必要。

と思っていたが、必要なのはアイデアだけで、それを考えた人間は必要ないのだ。前にどこかで思ったものな。「アイデアはおもしろいけど、発案者であるお前のレベルが低いのでお前と一緒にやるのは嫌だ」とね。人間いらね。目的達成ができればなんでもいい。達成のために必要な機能を揃えるだけだ。

イデアマンからアイデアをもらって著作権料を支払い、それを自分で実現する。その形がいいのではないか。

 

・おれは起業や経営が好きなのでビジネスオタクに囲まれて生活したいのである。現状それがあまり叶っていない。本当の経営オタクと過ごしてずっと経営の話をしていたい。

 

 

4月24日

・初めて入った喫茶店。なんとなくアメリカのダイナーのような雰囲気がある。

いい場所だ。客が少ないせいもあり、なぜか心がとても静かになる。

おれは感情の制御が凄すぎて、表面上は穏やかに見えるだけの激情型ニンゲンなので、このように心静かになれる時間は大事だと思う。激情に駆られるのは普通に疲れるので。

 

 

・自分の心優しさを人に指摘されたり自分で気づいたりする最近を送っている。

悪ぶったり他人に興味がないスタンスを見せているが、それは一種の防衛策なのだと改めて思った。自己暗示というか。本質的にはおれはとても面倒見がいいと思う。しかし他人の面倒を見過ぎて自分が消耗した経験があり、その反省は大きく、自分の他者への優しさを封印した。

 

「人間らしい感情を殺す。人間をやめて鬼になる」

これは前の会社を創業するときの個人テーマであった。感情をなくし、冷静に判断をする。

そして、ここで言う感情とは主に他者に対する優しさであったと思う。

 

他者への優しさ、甘さ。それが自分の生活を、経営をダメにしている実感があった。なので封印した。優しさは美徳ではなく弱さだと思った。

 

ある意味では正解だったと思う。すべてにおいて優しくあればいいわけではない。仕事において厳しく冷たい判断をしなければならない時もある。冷たい判断をしていく自分に快感を覚える部分もあった。

 

もともと効率のいいことが好きで、無駄をなくしスッキリさせることが快感なので、必要のないモノや人間に別れを告げていくのは間違いなく充実感があった。できなかったことができるようになっていく自分の成長、とも思えた。普通の人間が捨てられないことを捨てられるようになっていると。非情になっていく自分が嬉しかった。

 

 

しかし自分はそんな冷たい意識でやっていても、人には慕われた。お客に、部下に。

 

こないだ京都で言われたのだ。自分がたどり着いた感情を殺して判断するサイコパス経営について語ったあとに、「でもあなたから嫌な感じはしませんよね」と。

 

けっこうハッとする指摘で、自分ではかなり厳しくやっている意識でも、それでも周りの人間には「いい人だ」と捉えられる。

 

 

この差はなんなのだろうな。もう「おれはとてもいいやつ」ということでいいと思う。

変に悪ぶるのはやめよう。自己認識と周りからの評価がズレるばかりだ。

 

優しすぎることが問題になるほどいいやつだったということだ。歳をとってそれを制御することを少し覚えた。そういうことでしょう。

 

時間をおいて見たら恥ずかしくなる話題だが、残しておきましょう。

 

 

4月25日から30日。
・本や漫画を読んでゆるゆると過ごす。

 

・5月からは新しい案件が複数スタートします。いやはや。

今月のような完全休みの月は今年の終わりまでこないね。まあ結局、5月もそこそこ暇だと思う。